ポコとピアノの物語

ポコとピアノの物語制作委員会

シューマンOp.68-10

 ピアノにおいてハノンのような基礎的な練習は最大に重要であり、

「1か月で弾けるピアノ」とか「ハノンやらなくてもピアノうまくなりますよぉ」

みたいなものは、言ってる先生も嘘だとわかっていっているが、

生活のために仕方なく嘘たまわっている。

 その点、わたくし、ノヴァカは嘘はいわない。筋トレやらないでスポーツが

大成するはずもないことを考えれば、自明である。

 

 「先生、ハノンやりたくないんですけれどぉ」

 

 「でも、ハノンやらなかったら万個がみれませんよ」

 

 「じゃあ、やりますぅ」

 

そう、これはピアノをたしなむ方全員に言えることだが、

全員ピアノを弾く目的を忘れてしまっている!!

ピアノを弾く目的はなんだ?!

それは「万個をみるため」である。目的さえ見失わなければ、

ピアノの道、直進にあたわざることなきものである。

 

日々、このように考え、その堂々たる人生のあゆみ、

疑いようもなかった。あの日までは。。。

 

ある日、事件は起きる。

 

 「先生、ハノンやりたくないんですけれどぉ」

 

 「でも、ハノンやらなかったら万個みれませんよ」

 

 「じゃあ、先生はハノンやって万個がみれたのですか?」

 

この生徒の逆質問を受けたとき、

私はス――っと気が遠くなりかけ、しかしそれは持ちこたえたが、

しばらく脳の中が晴れ渡った。快晴だ!。

たしかに、ハノンをやって万個が見れた試しは一度もない。

 

 

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シューマンOp.64

今は亡きカラヤンが指揮する演奏は迫力があり、これについては

オーケストラ史においても屈指の指揮者といえるだろう。

カラヤンはどんなシチュエーションの写真でも

左からのフォトしか許さなかった。右からのフォトはあまりない。

これはカラヤンのポコチンが右曲がりだからである。

 

実は私はカラヤンの結婚式に出席した。カラヤンの上司が

乾杯の前の挨拶をしたとき長かった。今はあんまり

結婚式で長話するやついないけれど、昔はとにかく長かった。

「えーー。今日は三つの袋の話をしたいと思います。」

え?玉袋とか?

「まず一つ目は堪忍袋でございます。」

いやー、そういう話しなくていいよぉ。長いから。目の前のおいしそうな

料理さめちゃうからぁ。

そして、20分くらいでやっと3つの袋の話が終わって、乾杯かと思いきや、

「今日はカラヤン君の特別な日ということで

さらに4つの袋をたして、7つの袋の話をします。」

式場のみなさん、結構しっかりした椅子に座っていたが、

9割がた、ズコーっとずっこけていた。

 

カラヤン交響曲は有名な演奏が多いが、ピアノ協奏曲は

あまり有名ではない。これはピアニストが

カラヤンの愛人であり、

演奏会の前の日に打ち合わせと称して

ポコチンしまくったので疲れちゃったんだね。

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シューマンOp.68-1

私はピアノを通じて外国人にコンプレックスを持つようになった。

外国人は手が大きいし、指も長い。足も長くて、

鼻もすらっとしてかっこいい。どう考えても足が短くて

深い一重のノヴァカと比べたら、ピアノを弾く姿が

どちらが絵になるかは明白であり、自明である。

 

そんなノヴァカの深くて漆黒の傷を更にえぐるかのように、

彼らは言葉巧みに世の女性を誘惑する。

 

例えば、アメリカ人。

「僕は君を愛している。僕には君が必要なんだ。」

こんなことを言って、きっとその夜

女性とポコチンしてるに決まっている。

 

例えばイタリア人。

「素敵な瞳ですね。一目見て引き込まれました。」

こんなことを言って、きっとその夜

女性とポコチンしているに決まっている。

 

例えば中国人。

「お昼ご飯はもう食べましたか?」

こんなことを言って、きっとその夜

女性とポコチンしているに決まっている。

 

そしてノヴァカ。

(よーし!きっと遠い未来、ピアノがうまくなれば

 美女があつまるにきまっている!)

 

ノヴァカはモンモンと自室でイメージを膨らませ

未来へ無限の可能性を感じているのであった!! 

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シューマンOp.68

ピアノ連弾はソロよりも旋律が3声、4声と容易に厚くできるが

その分各個のインテンポのシェアが難しい。

その難度とは別に、特に男性のピアノの連弾において、

恋愛とは少し違う不思議な感覚を感じることがしばしばある。

二人の男性が隣り合って同じ方向を向くというのは

日常ではそんなにないことで、ピアノの連弾以外だと

公衆トイレくらいだろうか?

この不思議な感覚については、何の気なしに感じて

すぐに忘れてしまうことが多い。しかしこの感覚が、

誤解とともに自信喪失につながること

があるので最大限注意する必要がある。

 

不思議な感覚とは、自分のポコチンより

隣のポコチンのほうが長く見えるという現象である。

この現象については長年の研究や議論があり、

この100年において進捗がなかったのであるが、

最新の知見を述べていく。

 

まず実際のポコチンの長さをL、射性角(ポコチンを見る

角度)をAとすると、見かけの長さはEは

 

E=L・sinA  

 

で表される。これによると自分のポコチンが実際に10㎝だとすると

射性角は30度なので、

 

自分のポコチンの見かけの長さ E=10・sin30=10×1×0.5=5㎝

 

つまり自分のポコチンを自分で見ると半分の5㎝にしか

見かけの長さがなくなってしまう。

これに対し連弾相手のポコチンは

 

相手のポコチンの見かけの長さ E=10・sin60=10×1.73×0.5=8.65㎝

 

つまり連弾相手のポコチンの長さは1.73倍 約2倍近くに見えてしまう

ということがわかる。

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ル・クーペOp.17-25

 大人になると学校での淡い恋の思い出も忘れ

日々の忙しさでいたずらに時が過ぎていく。

子供のころのいろいろな思い出。。。

クラスが変わると仲の良かった友達と別れてしまい、

つらく、悲しい思い出。

でも、新たな仲間や友人との出会い。

そして初恋の思い出。

当時は思いを伝えるすべも知らないで、

自分の中だけでうれしく、そしてときにはつらく盛り上がり、

時が過ぎてあんなに燃えた片思いはいつの間にか

記憶の片隅へと忘れ去られていく。

 

ノヴァカもそういう思い出を忘れていました。

でも、ふとあるとき、二つの恋の思い出が突然よみがえったのです。

ノヴァカは勉強はできましたが、運動オンチで

もてませんでした。もてないと思い込んでいただけかもしれません。

そんな感じなので、思いというのは社交的に解放されることなく

うちに秘められることが多かったのです!

それは何年も私の脳の奥にしまわれていました。

淡い記憶を思い出したので、ここに記します。

 

 まず一つ目は、中二のときクラスの女子全員をずりネタにして

見事全員で抜いたという偉業をなしとげた。

そして二つ目はそのことがばれてクラスの女子全員に縛り上げられて

ぎゃくにずりネタにされたことを想像して

果ててしまった夢を見たことです。

 

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ル・クーペOp.17-11

私は時々深い悲しみと絶望感を

感じざるを得ない場面に出くわす。

それは自分以外の人のピアノを始めた理由を聞いた時である。

「親が音楽関係の活動をしているので」

「将来、音楽関係の仕事がしたいので」

「物心ついた時からピアノやっていたんですよ」

「ピアノの音や楽器が好きなんです。」

これらはピアノを始めたひどい理由だが、さらには

ショパンノクターンが弾きたいので」

ゲーム音楽が弾きたいなと思ったので」

 

私思うのだが、これらのような理由でピアノを始めるようでは

まったくだめだ。こんな理由で始めるから

「ハノンやツェルニーはやりたくないでーす」

「このフレーズ難しいからピアノやめちゃおーっと」

みたいなことをいいだすのだ。

「ハノンやりたくないだと?では、死になさい。」

と何回心の奥からのどより上にもちあげてしまいそうになったことか。

 

私がピアノを始めた理由は、魂を揺さぶるような大きな主張があり、

始めたというよりは始めざるを得ない状態、

そしてやめることができないというたぐいだ。

いわば、ピアノを弾くことが運命として決まっていたと言える。

私は勉強は得意だったが運動はまるでだめだった。

だから、もてなかった。

 

「もてたい、そして万個がみたい」

 

これが私がピアノを始めた理由だ。

 

  

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ル・クーペOp.17-2

新しい生活習慣について考え、実行し、さらに維持していくことは

難しいし現実というのは時に耐えがたい事実をつきつける。

思えば今まで生きてきて、

怒ったことは何回かあると思うが、

今冷静に考えてみると怒るに値するようなことなど、

大してなかったのではないか、いや、全くなかったと言える。

しかしながら、最近、全身の細胞が震えるような

怒りを感じることが起きた。

それは、尿漏れである。

実際漏れたわけではないが、最大限集中していないと

漏れそうなのだ。

 

どういうことかというと、

①トイレに入る。

②チャックを開けて、ポコチンを出す。

③おしっこする。

④軽く切る。

⑤ポコチンをしまう。

これが旧放尿手順である。

 

若かりし日々はこれでよかった。

それはかけがえのない放尿手順であり

楽しい日々だった。

 

それが今はどうか?

手順④軽く切る までは同じ。

ここからが問題だ。

実は④の軽く切るというのはさらに細かい手順があって

④-Ⅰ ポコチンの付け根を中指と人差し指ではさむ

④-Ⅱ そのまま上下に振る

④-Ⅲ おしっこの粒が数滴でる

④-Ⅳ 粒がでなくなったら振りをやめる

 

④-Ⅳまで終えたら今までの習慣ではただちに

⑤ポコチンをしまうという動作にはいれたのである。

ところが・・・・④-Ⅳ振りをやめる

のあと親指と人差し指ではさんでいるのを

やめると尿管にかかっていた圧がさがり、

尿管に残っている残尿がまたではじめてしまうのである!

 

ここでわきあがる怒りの感情を抑え、手の圧から解放された

ポコチンの尿管に残っているであろう恥液を出し切る。

これで尿を出し切ったと安心して今度こそポコチンをしまおう

とするとなんと!またではじめるのである。

これはポコチンとパンツの解放部との接触の圧が解放されたことにより

さらに出始めるという現象で「医学的チンダル現象」と呼ばれている。

 

しかたなく、ポコチンに手を触れずに圧を開放し、さらに

ポコチンに圧を加えている衣服を広げポコチンに圧が加わらないように

して、あとはゆっくり恥液がしたたり終わるのを

高野山の修行僧のごとく無心に待つ。

そういう手順が増える、これがノヴァカの新しい生活習慣の現実である。

 

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