ポコとピアノの物語

ポコとピアノの物語制作委員会

ル・クーペOp.17-2

新しい生活習慣について考え、実行し、さらに維持していくことは

難しいし現実というのは時に耐えがたい事実をつきつける。

思えば今まで生きてきて、

怒ったことは何回かあると思うが、

今冷静に考えてみると怒るに値するようなことなど、

大してなかったのではないか、いや、全くなかったと言える。

しかしながら、最近、全身の細胞が震えるような

怒りを感じることが起きた。

それは、尿漏れである。

実際漏れたわけではないが、最大限集中していないと

漏れそうなのだ。

 

どういうことかというと、

①トイレに入る。

②チャックを開けて、ポコチンを出す。

③おしっこする。

④軽く切る。

⑤ポコチンをしまう。

これが旧放尿手順である。

 

若かりし日々はこれでよかった。

それはかけがえのない放尿手順であり

楽しい日々だった。

 

それが今はどうか?

手順④軽く切る までは同じ。

ここからが問題だ。

実は④の軽く切るというのはさらに細かい手順があって

④-Ⅰ ポコチンの付け根を中指と人差し指ではさむ

④-Ⅱ そのまま上下に振る

④-Ⅲ おしっこの粒が数滴でる

④-Ⅳ 粒がでなくなったら振りをやめる

 

④-Ⅳまで終えたら今までの習慣ではただちに

⑤ポコチンをしまうという動作にはいれたのである。

ところが・・・・④-Ⅳ振りをやめる

のあと親指と人差し指ではさんでいるのを

やめると尿管にかかっていた圧がさがり、

尿管に残っている残尿がまたではじめてしまうのである!

 

ここでわきあがる怒りの感情を抑え、手の圧から解放された

ポコチンの尿管に残っているであろう恥液を出し切る。

これで尿を出し切ったと安心して今度こそポコチンをしまおう

とするとなんと!またではじめるのである。

これはポコチンとパンツの解放部との接触の圧が解放されたことにより

さらに出始めるという現象で「医学的チンダル現象」と呼ばれている。

 

しかたなく、ポコチンに手を触れずに圧を開放し、さらに

ポコチンに圧を加えている衣服を広げポコチンに圧が加わらないように

して、あとはゆっくり恥液がしたたり終わるのを

高野山の修行僧のごとく無心に待つ。

そういう手順が増える、これがノヴァカの新しい生活習慣の現実である。

 

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