ル・クーペOp.17-11
私は時々深い悲しみと絶望感を
感じざるを得ない場面に出くわす。
それは自分以外の人のピアノを始めた理由を聞いた時である。
「親が音楽関係の活動をしているので」
「将来、音楽関係の仕事がしたいので」
「物心ついた時からピアノやっていたんですよ」
「ピアノの音や楽器が好きなんです。」
これらはピアノを始めたひどい理由だが、さらには
「ゲーム音楽が弾きたいなと思ったので」
私思うのだが、これらのような理由でピアノを始めるようでは
まったくだめだ。こんな理由で始めるから
「ハノンやツェルニーはやりたくないでーす」
「このフレーズ難しいからピアノやめちゃおーっと」
みたいなことをいいだすのだ。
「ハノンやりたくないだと?では、死になさい。」
と何回心の奥からのどより上にもちあげてしまいそうになったことか。
私がピアノを始めた理由は、魂を揺さぶるような大きな主張があり、
始めたというよりは始めざるを得ない状態、
そしてやめることができないというたぐいだ。
いわば、ピアノを弾くことが運命として決まっていたと言える。
私は勉強は得意だったが運動はまるでだめだった。
だから、もてなかった。
「もてたい、そして万個がみたい」
これが私がピアノを始めた理由だ。